East Canada Diary

カナダ東海岸ケベックから自分らしく暮らす日常を綴ったブログです。

About

カナダブログ「East Canada Diary」、はじめます

忘れもしない、2013年1月29日。
私が初めてカナダの地に足を踏み入れてから丸5年が経ちました。

石の上に三年で一人立ちできるまでに3年かかり、十年選手でベテランとなるなら

今の5年目は個人的には中堅的立場になってきたのかなぁ・・・

なんて勝手に思っています。

適度な海外生活を経験してきた今だからこそ、初めから知ってたら少し楽に過ごせたなぁと思うことや、思ったよりも大変で辛いことがある、海外生活のリアルが見えてきました。

そんな

  • 同じように海外に暮らす人へアルアル!と共感できるような情報
  • これからカナダに行く人へワクワクとドキドキを体験したくなるような現地情報

を発信できたらと思ってはじめた「East Canada Diary」です。

カナダの西海岸ブリティッシュコロンビア州から東海岸ケベック州へ拠点を移していますが、年に数回日本にも戻っています。

行く先々のネタを元に、楽しく・美味しく・面白い、外国でのライフスタイル、カルチャー、語学学習、グルメ、旅行情報についてありのままに綴っていきます。

 

このやりたいことだったら、海外でもいいんじゃない?

どうしてカナダにやってきたのか。

よくあるパターンで、ワーキングホリデービザでカナダに渡航してきました。

20代後半の2012年中頃。

当時あまり好きになれなかったコンサル業界の仕事からのストレスと、上手くいかない散々な私生活が続き、生き方や働き方に悩んでいました。

仕事を休むか辞めるかの時に大失恋をし、がっつり凹んで修正不可能になってしまい、

一人で行きて行けるような強い心も持ちたい

と思い立ちます。

そしてどうせ仕事もやめるのだったら、好きなことに携わりたいなぁと。

その時自分が好きだったことの中から

「スノーボード」
「英語」

に関われる場所に行くことを決めます。

何もなくなった時にやりたいことができる場所、それがカナダだったんです。

 

異文化との出会い

カナダに渡る前にも海外経験はありました。

わたしは生粋の愛媛県育ちである両親の元に愛媛で長女として誕生し、そこで育ちましたが、小学生の時に1年程海外で暮らしています。

今でもはっきり覚えている最初のカルチャーショックは、学校での休み時間のことでした。

順番を決めるとき、みなさんは友達とジャンケンをして決めますよね?
そこでは、友達とゲームをするのにそんな公平なルールはありませんでした。

「じゃぁ、わたしが最初ね!」
「その次わたし!」
「オレはその次。」

「・・・。」

発言しなければ最後です。
取り残されてしまうのです。

この時に、

国が違うと違うことがあるんだ。
当たり前のことが当たり前としてないところもあるんだ。

と違いを幼いながらも感じました。

北欧語の学校ではあったのですが、英語で授業が行われるインターナショナルクラスだったこともあり、様々な国の子供が集まっていました。

いろんな国出身の人と触れ合い、違いを認めることの大切さを学びました。

ただそれも帰国してしまえば過去のことで、日々の暮らしの中で記憶の片隅に忘れ去られて行ってしまいます。

 

スノーボードとの出会い

高校を卒業後、海外での経験もあって英語に関わることがしたいと京都で学生時代を過ごすことになります。

たくさんの人に出会って、多くを知り経験したいと思い、四国から勢いよく飛び出て行きました。

「英語」ができれば、幼少期に触れた異文化をまた感じられると思っていました。

蓋を開けてみて、進んだ学部は夏目漱石の英語版を学習するような、英語自体を勉強する学部だったことに気づきます。

自分のやりたいことがわからないまま、「英語」に関わるというだけで学部を決めてしまっていたから招いたこと。

これはわたしが勉強したいことではなかった・・・。

学部の内容も知らずに進学してしまったわたしは、その後軌道修正もすることもなく、次第に英語や異文化にも興味が薄れて生きます。

ちなみに、「英語」は単なるコミュニケーションツールでしかないことに気づくのには、これからあと数年かかります。

その代わりに、サークル仲間と遊ぶことやバーでのアルバイトに精を出して行きます。

この時所属していたスノーボードサークルの上の人がリゾートバイトを勧めてきたことがきっかけで、学生最後の年に友達と1ヶ月の間、北海道トマムのホテルで働くことになります。

本当は当時の彼とクリスマスを過ごしたかったのですが、友達がテキパキと履歴書の送り先やら電話面接やら全てを順調にこなしてくれたおかげで無事トマムで年越しをすることになり、そしてスノーボードの魅力に惹かれていきました。

直前に大阪エキスポで買い揃えた三点セットとふわふわのファーがついたウェアを着た初心者のわたしは、上から下まで転けずに滑るなんてこともできないビギナーでした。

それでもそこで過ごした日々とスノーボードは楽しくて。

東京で社会人として働き出してからも週末スノーボーダーとして通うような仲間と出会い、最終的には社会人でありながら冬シーズン60日超えの滑走日数になるほど、どっぷりとハマっていきました。

 

異国で何ができるかを問い続けた1年目

幼少の頃の海外経験と、社会人の時のプロジェクト経験で海外部署と関わったこともあり、いつか海外でまた生活してみたいとは思っていました。

ワーキングホリデーで足を踏み入れたのはカナダ西海岸のウィスラー。
結果としてワーホリから学生に切り替えて、ここで3年3ヶ月を過ごすことに。

海外で一人で自立して生活するという初めての経験は、ワクワクとドキドキが入り混じっていたのを覚えています。

本格的な準備期間は約3ヶ月ぐらいと、弾丸でなんとも計画性も目標もないながらも、ビザの申請・必要経費の貯金・語学学校・家の手配依頼と思いつきに近い状態で必要事項を洗い出し、それでもなんとかカナダに渡れました。

基本的に全て自分で手配したのですが、頼れる友達が何人か既にカナダにいたのでできたことだと思います。

強い自分になりたいって泣いて出てきたのに、最初からいろんな人にお世話になっていました。

カナダに渡ったのもつかの間。

1ヶ月半後にはスノーボードで肩を剥離骨折し、1ヶ月程肩から腕を吊ることに・・・!

このとき自分が好きなことを2つ挙げていたことは幸いでした。

スノーボードができなくなるって辛いなぁと思いながらも、もう一つの好きなこと「英語」に救われていました。

怪我をしていたのでハウスメイトや近所の人と話すことも必然と多くなっていました。
スペインに帰国する友達に国に帰るの?と聞いたときの返答は今でも忘れられません。

「どこに行くかではなくて、何をするかじゃない?そう聞いてほしいな。」

・・・!
ハッとする、十数年ぶりのカルチャーショックでした。

この時から、日本での肩書きとか立場とか関係なく、身一つで何が出来るか考えるようになりました。

おかげで足りない物が見えすぎた1年目でした。

 

常に泣いて、常に笑っていた激動の2年目

日本人のワーキングホリデーはカナダでは最長1年と決められています。
わたしは特に帰る理由もなかったし、帰っても力不足感が見えていました。

それよりももっとここのカルチャーを知りたい、現地の人として暮らしたいという欲求の方が大きくて、その目的を達成するツールの英語力を向上すべく学生として残ることに決めました。

そんな2年目。

少しずつ慣れて新しいことに挑戦し始めると、自分の力を過大評価して失敗したり、思うようにスムーズに物事が進まずに苛立ったり。

自分の努力が足らないのにもかかわらず、学校により高い英語環境だけを求めるようになってしまっていたり。
仕事でのポジションの変更を交渉するものの、望むような返答をもらえなかったり。
ビザの申請が政府から誤って却下され、再度の手続きや費用が必要になったり。

もがいてももがき方がわからずに葛藤したことが多かった2年目だったと思います。

その分、友達に何度も救われました。

喚くように泣くわたしを、広い心で受け止めてくれる友達がいたからこそ、乗り越えられたんだと。

とにかくよく泣いて、よく動いて、よく遊んでいました。

 

他人と自分の両方を認められるようになった3年目

ここまでくると地元のローカルからも顔を覚えられて、「あなた長くいるよね?」なんて声をかけられることも増えてきました。

ウィスラー自体、スキーリゾート地で入れ替わりが激しいので、3年居てやっとローカルに一歩近づく雰囲気があります。

一時期は3つ掛け持ちしていた仕事もなんとかこなせるようになり、英語環境でもやっと現地の人と同じ土台に立てるようになったことがとても嬉しかったのを覚えています。

と同時に、やれることが増えるので任されることや教育することがさらに増えるようになりました。

これがまたいろんなタイプが多いウィスラー。
全ての人に同じように伝えるのでは上手くいかないことも多くて。

よく仕事後にローカル大先輩達と飲んで相談させてもらってました。

その会話や人に教えるということで、自分と他人との違いに気づくようになり、
そして相手を心から認められるようになりました。

幼少期に感じていたことのはずなんですが、この時まで眠っていたんだと思います。

3年目にしてやっと、同じ目的に対してもそれぞれの全力で取り組む形もあるんだなと理解することができたのです。

本当、これに気づくのに長いことかかりました。
何度も嫌な先輩ヅラしてたときがあったなぁと今は猛反しています。

いろんな人との出会いや別れを経験し、違いを認めれるようになった3年目でした。

実はこの3年目のときに、ケベック州出身の現夫と遠距離恋愛を貫いた結果入籍することにもなりました。

 

それから今まで

入籍はしましたが、夫は学生に戻っていました。
ここカナダでは、年齢に関係なく学びたいことがあれば学校に通うことはよくあることで。

そう言った事情とまだ働けるビザも残っていたので、結婚後もしばらくは一緒には住まず、一時帰国してビザを待つことにしていました。

そんな中、たまたま会いに行ってた時にビザが降りたので、無事に国境をまたいでランディングも完了したのが2017年10月。

現在は遠方から日本の会社の英語学習アプリの翻訳コンサルに微力ながらも携わり、ケベック州の北部で学生の夫と暮らして1年弱経っています。

ケベック州北部ということで、日本人は今の所見当たりませんし、英語もここでは役に立ちません。
移民後のフランス語学校に通っているのですが、今の所大敗しています。

州が変われば国が変わるくらいケベック州は独特で、その分新鮮でとても深いなと思っています。

カナダの新しい一面をカナダ東海岸の暮らしを通じて楽しんでいただけたら幸いです。

投稿日:2018年2月6日 更新日:



管理人のYukiです。

20代後半でコンサルティング会社を退職し、カナダに移住して5年目。現在はケベック州に滞在しています。

カナダ東海岸のライフスタイルを中心に、語学・暮らし・旅行・刺激を受けた内容をありのままに綴っています。

 

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